今日(3月24日)の私の履歴書、Wordが登場したころのことがリアルに書かれています。
ワードに一太郎が負けた理由は、ひとこと、
独占禁止法すれすれのマイクロソフトの攻撃に敗れたから・・・と思います。
1990年のはじめ、我が家にPC9801が届くとき、
私は敢えて「ワープロソフトは一太郎にしてほしい」と
希望を伝え、それが実現していました。
それくらい、一太郎は代表的なワープロソフトでした。
しかし、1995年のWindows95の発売に伴う
Wordの攻勢は、飛ぶ鳥を落とす勢い・・・・
そこで、ジャストシステムは
今日の日経新聞「私の履歴書」の記事にありますように、
つまり学校と官公庁のニーズに応えるように
販売をセグメント化しました。
たしかに1990年代当時、仕事の同僚に学校の先生をしていた方がいましたが
学校においての一太郎のシェアは絶対的なものでした。
それだけユーザーのニーズに応えていたのです。
マイクロソフトのWordは絶対
独占禁止法すれすれの行為だったと今でも思います。
いわゆる抱き合わせ販売です。
日本政府は、日本生まれの日本語に精通したソフトウェア一太郎を守らなかった・・・
と私は今でも思っています。
なお、Macユーザーは、今でも、日本語変換は「ATOK」
と絶対的な信頼を寄せています。
浮川氏の「私の履歴書」はあと1週間。
その後の彼の生き方に注目したいと思っています。
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